専門だった日本史からとても腑に落ちたこと。
出自は産経新聞
東大の本郷教授
当の検非違使に任じられている役人の邸宅だ。
全く持ってありえる。大きな敷地の中の私邸のプライベート空間そのものが役所なのだと。
そこからなんと
幕府も同じだということ。
あくまでも将軍の私邸が幕府の建物であり、執務場所。会議をする者、警備をする者などが通ってやっているのだ。
だから鎌倉殿や室町殿というのだ。
いやあ20年前に知っていたら!!
加えて幕府の下知状ほ締めくくりは
鎌倉殿の仰せによりて、下知くだんのごとし
なのだ。
幕府のトップ役人が将軍の意思を伝達するのだから、当然の決まり文句だ。
もう納得して、感動しました。なんかわかったようなそんなところだったのが、理解できた!分かった!説明できるレベル!
指導教官はもう鬼籍に入られたが、いやあ申し訳ない。実に単純。古文書を担当してくれた当時の助教授にも、分かりやすく説明して下さっていたんだと。
室町時代までは生活の場所である館と敵に攻められて立て籠る館は別々にあった。
城が大きな堀を持つことで、同一の場所となる。それが江戸時代 江戸城だ。
日本の歴史なかなか面白い。
職業的に手に職があるとは、なかなか困難な分野ではあるが、専攻したのは間違いではなかったと感じたのでした。
めでたしめでたし。
参考文献だね。
指導教官からは以下だね。
古文書の担当 当時は助教授
この先生もお世話になった。
当時は助手