まあ病名のない入院という不思議な毎日。何をなおしているのか、分からないまま不安も多かった。とりあえずは歩行器を使って自分で取りれにいけることから、
ベッドから歩行器に移動するのも足が思うように動かないもどかしさとの戦いだった。
まずはベッドにすわって、足をたらして。
手を歩行器にかけて、せいので立つ。よたよたじいさんでしたわ。
日々歩く練習を積み重ねベランダまででてぐるぐる回るという行動。
とにかく足を高くあげて一歩一歩を確実に歩くことが退院への近道でしかなかった。
ベッドにねていると意識なく大きなこえでうなっいること ってどうしたら治る?
これはなんか薬を飲んでるわけでもなく、頭痛がひどく座薬で即効性効かせて落ち着くのが精一杯の行動でした。
毎日あるいては うなされ うなされていることが本人が分からず(意識がない)
頭がガンガン打ち付けられるようにいたく、座薬で抑える。
そんな毎日が続いた。
ただこのころになると、記憶が数ヶ月から数年なんか抜けているなあと感じ始めた。
いまでは当時を振り返るにもかなり楽しい結婚してからの夫婦生活の記憶、
子供ができたことへの記憶、どこかへ休みの日に言った記憶、仕事の記憶も
相当歯抜けになっている。もうほとんど思い出せないくらい、大きな衝撃という後遺症つぃて残っている。
まあ自立して歩けるようになりましたので、まああとは自宅療養ということになりました。地域の診療所への紹介となり、紹介されたのは心療内科でした。
まあ医師をたよるしかもう無かったのだ、
とりあえず入院給付金はなんとか診断書も作成してもらって、保険もつかって生活を守った。
しかし自分はこんな人生でいいのか。
こんな人生をするためにうまれてきたのか不安でしかなかった。
何もかもがこわかったような記憶がうっすらある。
妻の献身的な支えが生きる糧でしたね。
独身だったら命はなかったかもしれない。妻がいることに本当に感謝を覚えましたね。
妻よ ほんとうにありがとう!感謝
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